2009-05-27

Lotus Notes を開発した Iris Associates (その2)

Iris Associates の組織は、機能別のチームメンバー、チームのリーダー、複数のチームを束ねるプロジェクトリーダーが基本構成となっていた。当初は、Notes Client と Domino Server の区別がなくプロジェクトリーダーは一人であったが、プロジェクトに関わるメンバーや関連チームが増えてきた段階で、クライアント側とサーバー側にそれぞれプロジェクトリーダーが配置されて、リーダーミーティングも別々に行われるようになった。2000 年くらいのタイミングでは、Russ Holden がサーバー側のプロジェクトリーダー、Jen Kidder がクライアント側のプロジェクトリーダーであった。

エンジニアたちの多くは、優秀だがプライドの高い面々であった。リーダーは自分の担当している機能に関しては全面的な権限をもっており、次のバージョンで実現する機能の選択は、リーダーが行っていた。前のリリースで積み残した機能と、エンジニアとして実現したい機能が優先的に新バージョンの機能として扱われるため、新しい機能要望を追加することはタフなネゴシエーションが必要であった。開発チーム外から新しい機能を要望するときは、一つ一つの機能に対して要望責任者 (Champion) が要求され、機能ごとに詳細まで説明しなければならなかったので、中途半端な知識で、受け売りの機能要求をすることはできなかった。

2009-05-20

Lotus Notes を開発した Iris Associates (その1)

Iris Associates は、Lotus Notes を開発した会社である。IBM が Lotus を最終的に統合するまで、製品は、Lotus Notes のブランドで販売されていたが、製品は Iris Associates という別会社で開発されていた。Iris Associates は Lotus から出資を受けていたため、できあがった Notes の販売権は Lotus にあったと思われる。

Iris Associates の社員のほとんどは、製品開発エンジニアだったため、実際の製品を完成させるための、テスト、ドキュメンテーション、製造などの周辺の作業や、製品販売後の技術サポート、Unix 系のプラットフォームへの移植作業は Lotus が担当していた。

Iris Associates があった Westford, Massachusetts は、Lotus のオフィスがあった Cambridge, Massachusetts から車で40分以上かかり不便であったが、1997 年に Iris Associates が同じ敷地内にある別のビルに移転したと同時に、Lotus Notes のテストやドキュメントのエンジニアや、Product Management チームが Westford の同じビルに移転したことで、不便は解消した。

しかし、同じビルになっても Iris Associates の中心メンバーはビルの2階にオフィスを持ち、Lotus のメンバーがいる1階とは、隔離された雰囲気があった(実際は、Iris Associates のメンバーの一部は1階にいたので、隔離していた訳ではなかった)。

2009-05-17

Unicode 前夜

コンピュータは、主にアメリカで開発されたため、コンピュータで使える文字は、英語で使われるアルファベット26文字、数字、その他の限られた記号類だけであった。文字のエンコーディングも各社ごとに定義されていたために互換性がなかったが、アメリカで ASCII (American Standard Code for Information Interchange) という規格が定められたことで、文字表現が標準化された。ただ、IBM だけは今でも一部のコンピュータでは EBCDIC と呼ばれる独自表現を使っている。

ただ、ASCII には、英語以外の文字が含まれていないため、アメリカ、イギリス以外の多くの国では、ASCII を基本にした文字コード拡張が国(言語)ごとに行われていた。そのため日本語などの漢字圏だけでなく、フランスやドイツなどの国においても、各国ごとに文字セットを用意しなければならず、言語を超えた情報のやり取りができにくくなっている。

Unicode は、国ごとに別の文字コードを作って管理するのではなく、それまでとは違う世界共通の文字コードとして開発された。